0B0VVK.bike

たいせ座談インタビュー

糞田舎。ピストシーン。

 

0B0VVK your real bike life
No.3 たいせさん

amaterasu.matsumoto 公開日2023年9月17日

※この記事は2ページあります。

 

(松本)
多分5年ぶりくらい?

(たいせ)
そのくらいすね。

(松本)
自己紹介をお願いします。

(たいせ)
たいせ(仮)20歳です。
今は自動車のメカニック見習いしています。
自転車はクルー組んでピスト乗ってますね。
たまにアレーキャット出たり、トリックしたり。あとは適当に街流したり。

(松本)
クルー。

(たいせ)
「THE LAKE SIDE SQUAD LOW-TECH」ってクルーです。
今やと7,8人おるんかな?暴走族の友達がカッティングマシン買ったんすよね。
そんでステッカー作ってもらいました。

(松本)
まだいる暴走族。

(たいせ)
チーム名長いんすよ。もうシンプルに「LAKE SIDE SQUAD」に改名しよかな思ってますね。

photo: amaterasu.matsumoto

本場アメリカにおけるピストカルチャーの地位は高い。スケートボードやBMXに次ぐ存在感を誇示し、ある時はメッセンジャーの仕事道具で、またある時はグラフィティを描く際の足踏み場でもある。
1970年代ニューヨーク市の社会弱者。カリブ系移民やヒスパニック、プアホワイトにうってつけだったのが、バイクメッセンジャーと呼ばれる自転車配達員の仕事。
彼等の中で初めてノーブレーキのピストバイクを使い始めたのがジャマイカ人のクルーだったと言われている。
ボブ・マーリーがアメリカで絶大な人気を博し出す最中、ジャマイカというカルチャー大国は固定ギアの文化基盤も築いてたのだ。

彼等のDNAは00年代に世界で同時多発的に爆発する。それが第一次ピストブーム。
しかし日本にも植えられたこの文化の苗は、すでに強い相互監視社会が掘り返してしまったと言える。
とはいえ今も土壌を守る業界の方も、ピストバイクに乗る若者も存在はしている。例えば僕の住む滋賀にも街でピストバイクに乗る若者がいた。
今回はそんな「たいせ」さんとの議事録的なものである。(私情でかなり時間が経ってから書き始めたので、けっこううろ覚えだったけれども)

滋賀のピストシーン、ノーブレーキピスト、ピストクリテに触れている。あとNIKE好きが憤慨するようなことも言ってますが、あくまで僕個人の意見です。気を付けてください。

photo: amaterasu.matsumoto

『きっかけとT19』

(松本)
たいせくんには、2回位くらいしかあったことないと思うねんけど、 初めて会ったときは確か高一でトレックの古いロードバイク乗ってたよな。もうランス世代とかの。

(たいせ)
あれは家にあった古いのを街の自転車屋さんで修理してもらったやつなんすよ。 あれでロードレースしてましたね。

(松本)
そう。一応競技で自転車してた時期もあるんよね。

(たいせ)
高校で自転車競技部でしたね。 ロードとトラックやってたんすけど、あんまりいい結果が出なくて…挫折したって言ってもいいんかな。で、そん時友達に街乗りでピスト乗り始めた奴がいて、気晴らしじゃないけど、それおもしろそうやんって。

(松本)
そっからハマってたと。そのどっちかっていうとカルチャー色強い世界に。

(たいせ)
そうすね。ピストってニューヨークだけじゃなくて日本でも色んな畑の人間が研鑽してきたカルチャーやからスタイルも多様で面白い。魅力的でした。

(松本)
同世代で趣味としてロードバイク始めた人沢山いるけど、なんていうか文化的な香りのする人ってグラベルとかBMXに行きがちな気がするな。ピストも多分そう。
正直な話、趣味性に特化したロードバイクの世界って、駄目な方面でナード気質な人も多いし、SNSなんかは陰湿かつ内ゲバが多い。
多分たいせ君の肌には合わないんやと思う。(自分には合うが。)

(たいせ)
僕がやってたんは競技ですけど、ルールに則して活動する息苦しさってのはある程度あったと思います。別に反体制みたいな感情が植え付けられたわけではないすけど。
ピストの世界ってアンタッチャブルな部分もまぁあるけど基本的に自由度が高いんすよね。
日本のピストカルチャーって、藤原ヒロシもいる「T19」ってスケートボードのチームが本格的にスタートさせたって言われてるんすけど。「T19」はスケボーだけやなくて裏原系の礎になった人とかもいるし、そういう素地がある人が黎明期にいたから、ファッション性に富んでたり、表現力の高さがあるんやと思う。

(松本)
ある程度スケボーにあるスピットみたいなんを輸入してるってこと?
競輪っていう一応健全なスポーツの大国なのに健全な広まり方してないもんな。

【余談『T19』『MADSAKI』】

アーティストの藤原ヒロシや、かつて裏原を牽引した「HECTIC」の立ち上げ人である江川芳文など上げればキリはない。80年代から現在に至るまでのスケートボードを中心とする日本のストリートカルチャーやサブカルチャー。その立役者の多くが「T19」のメンバーだった。

都市を前提としたトリックに多少社会が寛容かあるいは無関心だった時代。東京の若者の路上のカリスマともいえる彼らはシンプルな自転車に乗り始めた。

発端は免停の影響でロードバイクに乗っていたメンバーの尾澤彰氏が、同メンバーである川田圭人氏の乗るシンプルなデザインの自転車に惹かれたことだったという。曰く、ピスト。

西洋では、ピストバイクに乗ることで体験するダイナミズムを、「自転車が直結的な身体機能になった。」と例えるが、彼らも固定ギアの走行感に魅力されたのだろうか。瞬く間にチーム内のホットトピックはピストになり、「T19」は江川芳文氏を筆頭にメッセンジャーレースに参加し、街を駆けた。既にスケートボードシーンにおいて多くのフォロワーを抱えていた彼らは、ピストシーンにおいても中軸となり、台風の目でもあった。日本中でアスファルトと擦り減ったタイヤがキスをする。

国内でのルーツを語る上では本場ニューヨークでバイクメッセンジャーをしていたアーティスト、MADSAKI氏の存在も欠かせない。有名なNIKE TOKYOの騒動では最も石を投げつけられた人物だといえる。(以下原文)

「(2004年日本に帰国したとき)ピストに乗ってるヤツも少しはいたよ。
でもみんなブレーキを付けてた。でもそれじゃ意味ないんだよ。
ピストの1番の魅力は“一体感”だからね。」

「日本のストリートを代表してくれる人間としてYOPPI(江川芳文)に
『YOPPIがブレーキを外さないとみんなブレーキを外さないから、ブレーキを外しなよ! 』と言ったんだ。そしたら彼は僕の目の前でブレーキを外してくれたんだ! 」

photo: amaterasu.matsumoto

『滋賀』

(松本)
えーと乗り始めたのが6年位前?そのころ同世代で滋賀でピスト乗ってた人ってほとんどいなかったんじゃないですか?

(たいせ)
いや、マジでおらんかったっすね。
近所やと京都とか大阪って今でもピスト乗ってる人いっぱいいると思うんですけど、滋賀にシーンは僕の観測内だとなかった。

(松本)
たしかに梅田に行くと、わりと見かけるわ。でもやっぱ滋賀は不毛の地なんや。

(たいせ)
いや不毛っすね。そもそも滋賀にピストクールって多分「LAKE SIDE SQUAD」しかないし。
僕等ってNIKEの広告とか法改正以降に乗り始めたんで、イオン出来た後の商店街で買い物してるようなもんなんすよ。ほんま僕らが乗り始めて、滋賀ではその間何人か増えたって感じっすね。

(松本)
10代20代で乗ってる人って見たことないわ、確かに。

(たいせ)
相当珍しい思いますよ。
今乗ってるフレームってアメリカ起案の方のLEADER BIKESなんすけど、これやって田舎でピスト乗ってる当時の僕らを珍しがって、LEADER BIKES JAPANの人がくれたやつなんすよ。

(松本)
それ凄いな。どういう経緯なんですか。

(たいせ)
地元に草津ナイトクリテリウムってレースあるじゃないすか?

(松本)
ありますね。あります。地元にあります。

(たいせ)
草津ナイトって一回だけfixedギアレースやってた時あるんですけど、そんときLEADER JAPANの人が来てて。んで、「今俺はLEADERのピスト乗ってますよ」って話したら、珍しがられて新しいの貰えました。

(松本)
スゲー。太っ腹。プロモーションで芸能人とかじゃなくて高校生使うんや。なんかいいな。そういうの。

(たいせ)
まぁでも、ピストあっても周りに乗ってる人もおらんかったし、何したらいいか、わかんないんすよ。
そんなときに瀬田にピストのショップが出来たんですよね。店長がブームの少し前から乗ってた人で、ほんまにディープっていうか、ストリート出身って感じの人で、そこからっすよね、一気に世界が広がりました。

(松本)
広がったっていうのは具体的にいうと。

(たいせ)
カルチャーの知識の幅が広がりましたね。さっきのT19もそやし、界隈での常識が、ネットでディグってもフヤフヤしたんしか出てこないんすよね。基本。

(松本)
それって閉鎖的なんかもやけど、例えばブレイクダンスもスケボーもメディア露出が強くなって文化色が弱くなったって言うし、それでいいってことなんかな。

(たいせ)
いや、俺は別に始めた年齢は早かったかもすけど、古参なワケじゃないし、逆に誰でもピストカルチャーの概要みたいなんは知れる方がいいと思ってますね。ピスト乗る人増えてほしいんで。

(松本)
あっ、なんかアングラ思想があるんかと思ってた。

(たいせ)
そうでもないです。んで本質の造り込みも大切なんでしょうけど、スケボーの堀米みたいにアイコニックな存在がいれば、日本でもピスト乗る人って増えると思うんですよ。

(松本)
でもピストって五輪競技じゃないしな。やと爆発的に人気になるのって韓流スターとか有名俳優がピストに乗ってるプライベート写真が流出し…。みたいな路線が一番現実的ちゃう。
もし自分が好きな趣味がそんな経由で広まる事、想像したらちょっと嫌やけどな、大谷翔平とかがいいわ。

(たいせ)
音楽とかでも流行らせ方が重要みたいなビリーフってさんざん言われてるとは思うんすけど。でもピストってまずその段階すら達してなくないすか。いや尽力してる人はいるとは思うんすど、でも普通に生きてて目に触れる機会って少ないし、入口になるなら有名人が乗ってた路線もアリやと思うんですけどね。ピストをBMXとかスケボーの高さまで引き上げてくれるニュージェネみたいなんって、たぶん既存層から死ぬほど反発食らうタイプやと思うんすよね。

(松本)
たいせくん自身にピストを広めたいとかって思いとか行動はあるんですか?

(たいせ)
滋賀で乗る人は増えてほしいとは思いますね。
ただ、例えば自分がナイーブな人に対して「ピストはこういう乗り物だ。」ってマンツーマンで教えるのも、自由さを奪っていると思うし、おこがましいと思うんすよね。
俺は比較的自由に乗りたいタイプなんですけど、「LAKE SIDE SQUAD」からインスタとか通して自分のスタイルは発信していきたいっすね。
それで俺ら見てかっこいいって思ってピストに興味を持ってくれる人がいれば嬉しいし、逆に「お前らだっせぇ!!俺のがかっけえわ!!」って言って乗り始めてくれる人がいても嬉しいですよね。

(松本)
なんか凝り固まってないっていうか、許容範囲が広いな。
自分が二十歳の時とか半径1メートル以内のもの以外全部馬鹿にしてたから差を感じるわ。

【余談『ブーム』】

今ピストに乗る若者は、ブーム世代からどう映っているのだろうか?

00年代初期、アメリカにおいてトラックレーサーや一部のバイクメッセンジャーの乗り物だったピストバイクに、流行に敏感な街の若者たちがこぞって乗り出した。

彼ら彼女らは皮肉交じりに「Hipster(流行に敏感な者、ポーザー)」と呼ばれ、既存のメッセンジャーに敬遠された。(日本のブーム世代とはこの時系列に位置しており、ジェネレーションHIPSTERなのだ!!)ウォールマートが街乗り用ピストバイクを大量に入荷した際、この文化の精神は息を引き取ったとさえ言われた。

尖ったインディーズバンドだっていつかは中高生の涙で池ができるかもしれない。そうなった時「あのバンドは愚直に愛を歌い始めた。」と憤慨する人もいる。それと同じなんじゃないのだろうか。

新世代から見て既存層が退屈に見え、既存層からは新世代が自分たちの文化基盤やアイデンティティを取り壊す悪魔のように見えるのは恐らく自然の流れであり、必ずしもその感情がカルチャーの精神性の廃退だったりを示すものではない。人間は偏りを持ってものを見るのだから。

Hipsterたちが元来あったメッセンジャーカルチャーとしての精神性に敬意を払っていたのか定かではないが、クリットレースやライディングビデオを中心に、日本で我々が受け取るようなアメリカのピストシーンを築き上げ、いまや組織内の体制側に立っている。
日本でも、サウナに集まりだした大学生の10年後や、Spotifyがオススメしてくる気乗りのしない曲のそれを想像すると、容易に批判するポーズこそが浅はかに思える。
じゃあそんな時どうすればいいのでしょうか。許容するポーズをとる?いや上から目線で鼻につくかも…。見なければいいじゃない?生きている限り物理的に無理では。いっそのこと批判すれば?それって岡田斗司夫みたいじゃないか。素直に楽しめばいいのでは?最も愚かだ。それができないから悩んでいる。

そんな時どうすればいいのでしょうか?

© 2023 amaterasu.matsumoto